【プロローグ】サラリーマンを辞めて大学受験をした話
2012年夏の終わり。
「会社辞めます!」
ベランダの喫煙所にいた上司の口からポロっとタバコが落ちた。
上司:もう少し考えてからでもいいんじゃないか?
僕:考えれば考えるほどやめたい気持ちが募ってしまって!
上司:そうか...
引っ越しに、退職準備に、てんてこ舞いだった僕は、大量の荷物と共に東京行きの新幹線に乗り込んだ。
「あーこれで後戻りはできなくなったな。」
会社を辞め転勤先から東京に帰って来た僕は、来るべき日に備えて準備を始めていた。
辞める理由は転職でも、家業を継ぐ(会社には家業を継ぐと言って辞めたが)でも、世界一周でもなく。
大学受験をすること!!!
人生2回目の大学生になること!!!
頭のいい人になりたかった...
学歴コンプレックスの塊がとった安直な行動だった。
死ぬほど勉強していい大学に入って国家資格でもとって人生やり直すぞ!
受験勉強という戦いの火蓋が切って落とされた。
なんて大見得を切ってみたものの、現役時代一浪してもFランしか入れなかったやつが何年も学校の勉強から離れ、再び勉強したってそんなにうまく行くわけがなかった。
案の定成績は一向に伸びず、時間ばかり過ぎてゆく。
「あ〜やっぱり俺は根っからのバカなんだ」
↓ ↑
「でも今回がんばってだめなら諦めがつくだろう。やるだけやろう...」
みたいな思考のループを1万回くらい繰り返すこと一年ちょっと
一発勝負が功を奏してかなんとか横浜私立大学に合格
28歳にして人生2回目の大学生
専攻は会計学!
会計士の資格をとってエリートサラリーマンになってやる!
と意気込んでみたものの、1年後早くも会計士の勉強を断念
理由は2つ
- 資格取得を甘く見ていた
会計士の勉強には、強い意志と勉強以外の全てを捨てる覚悟を必要とする。中途半端に続ければ、TACとかにいる何回も資格取得に失敗してすげーイライラしてる人たち(TACおじさん)みたいになってしまう。 - 誘惑が多かったこと
かねてからユーラシア大陸でバックパッカーしてみたかったし、歴史や経営、英語の授業も魅力的だった。海外インターンプログラムだって興味があった。
もともと興味が移ろいやすい性格もあり大学入学前の目標は早々に諦め、結局
”会計学に関しては、会計士は目指さないが頑張ってアカデミックな領域まで学ぶ。それ以外の時間は上記誘惑に身をゆだねる”
という選択をした。
そんなこんなであっという間の3年生。
そろそろ卒業後の進路を決めなくてはならない時期になっていた。
当初は「社会人経験者だし、卒業直前に転職活動すればいいかな?最悪昔の食品業界に戻ればええか(完全に逃げ思考)」みたいに考えてたのだけど、
大学の友達から
「最近就活どう?どこの合同説明会行く予定?インターンは?」
みたいな質問が飛んでくる。
なんと周りの学生は(自分の素性を伝えていた一部を除いて)僕を同い年だと思い込んでいた!
えーいこうなったら新卒で就活してしまえ!
ということで大学生活で一番頑張った会計を活かすために人IT事業で上場している企業の経理のインターンをすることに。
ここでインターンを行うことができたのは本当にラッキーで、たまたま面接した時にその企業の会長とお話する機会があり、履歴書を見るなり「君の人生は終わってる。」と言われた後に、慈悲の心でもってインターンをさせて頂いた。
折角のチャンスをものにしたいと、インターン初日から「経理頑張ります!採用も視野に入れてください!」ばりの勢いで仕事をしたのだが、僕の熱意とは裏腹に経理部長や人事部長の態度は冷めていた
”会長にめんどくさいインターン学生押し付けられちゃったな。適当にやり過ごしてさっさと終わらせよう”
こんな思いが透けて見えていた。
会長にも「誰が好き好んで年上の新卒に仕事を教えていと思う?無理だよ無理!!」
って一蹴されたし
他の合同説明会なんかでも当然のごとく対象を20代前半としている企業ばかりだった(っていうかまさか30過ぎの人間が新卒の説明会に来てるなんて思ってもみないことでしょう!)。
やっぱり30過ぎて新卒は無理か...
とはいえ社会人経験に5年のブランクがあることを考えると、転職市場で新しい業界に、30歳過ぎで挑むのはかなり無理があった。
結局自分は
転職するにはスキルがない、新卒では年齢というハンディキャップを帳消しにするほどの魅力をアピールできない。
というなんともジリ貧状態にあることに気付かされた。
こんな状況じゃ当然っちゃ当然なんだけど、就活がうまくいかない。
精神的に結構追い込まれていった僕は
今までの経験も知識も就活の役に立たないなら、純粋に興味のあることに飛び込んだれ!!
という半ばやけくそになりながら、少し前から興味のあったプログラミングを仕事とするIT業界に目をつけた。
就活を始める前はIT業界なんてこれっぽっちも興味がなかったのに、就活を始めていろんな人の話を聞いているうちに不思議とエンジニアになりたいという思いが強くなっていた。
ITの中でもSES(自社開発ではなくプロジェクトごとにエンジニアを派遣する業態)という職種を選んだ。
この業態を選んだ理由は以下の通り
- プログラミングのスキルを身につけられる(会社も社員がスキルアップさせることで派遣先の単価を上げたいと考えるため教育に熱心)。
- プロジェクごとに派遣先が異なる(長期間同じ場所で同じ人と働くことに抵抗があった)。
- 人手不足のため未経験者も就職しやすい。
というわけで早速とあるIT企業の社長に連絡を取った。
社長とは以前、学生と社会人が集まって色々な話題について話し合うみたいな場所で知り合いになった。
社長自身もバリバリのエンジニアで社長をしながら今もプロジェクトに参加して開発を行なっている。
社長にIT業界未経験者であるが入社を希望している旨を伝えると、入社試験と面談の日程を伝えられた。
10日後入社試験と面接を終え、その一週間後には内定通知を頂いた。
これで人生2回目の新卒就活は終わり。
2017年、大学4年の6月のこと。
今振り返ってみると、あの時は勢いで新卒として就活してしまったが、冷静にってか普通に考えると32歳の新卒就活は無謀だったなと思う。
卒業までの間はITの資格の勉強や卒論、バイト、卒業旅行の準備などに時間を費やした。
受験期間と大学4年の計5年間、大学のテストとか資格の試験を中心に勉強してきたけど、改めて思ったのが、
”自分はやっぱり勉強ができない。”
ということ
思い知らされた理由は 、
勉強に関して、少ない労力で自分以上の成果を軽々と出し、かつ努力を怠らない人たちが周りにいたこと
自分よりも能力が高く、努力する人たちに勝てるわけがないと痛感した。
でも別に悲観はしてなくて、
”自分は資格とか学校の勉強的な能力を強みするべきではない。”
と身をもって知ることができた。
就職後は2ヶ月間のプログラミング研修を受け、とあるIT企業の開発プロジェクトに携わることなった。
そして人生2度目の社会人となって1年ちょっとが過ぎたある日
田端信太郎さんのツイッターを読んでいると田端さんとサラタメさんが対談している動画のリツイートが目についた。
月額20万の田端大学スタートアップ社長向けプランを受講しているとのこと
”月額20万も払って受講してるなんてすごい人だな”
というのが率直な感想。
このツイッターを機にサラタメさんの動画を見るようになった。
何本か動画やツイッターを見てるうちにそこはかとなくこんな思いが
”この人と一緒に何かやってみたい”
2度目の大学受験も32歳で新卒として就活したのもそうだけど、自分には衝動的な性格があって後先考えずに行動してしまうことが多い。
そしてこのブログを書き始めた。
サラタメさんの動画が面白いと思った理由はうまく言えないのですが、あえていうなら、天衣無縫って感じ。質感の良いタオル?
youtube大学のあっちゃんほど「いかにも仕込みました!」っていうザラザラ感はないし、モチベーション紳士さんみたいにうまくまとまってるけどツルツルした感じもしない。
てな訳でまとめると、
一浪Fラン大学卒が学歴コンプから2度目の大学生を経て、心機一転エンジニア目指してIT土方やってるやつの話をしました。
彼氏なし。彼女なし。今年34歳。割と人生詰みかかってる僕が今まで学んだこと、感じたことをブログ形式で書いていきます。
サラタメさんと何かやりたい!!って気持ちは強くあるのですが
じゃあ何やんのよ?って聞かれても正直よく分かりません!
こいつ読ませる文章書くじゃねぇか!
って思ったら一報頂けるとありがたいです!
中国杭州は西湖の朝焼けより