【書籍】国家の栄枯をたどる-その2-

『なぜ国』と『銃鉄』

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2015年、人生2回目の大学2年のこと。

2人の教授に勧められ出会った書籍『国家はなぜ衰退するのか』と『銃・病原菌・鉄』。

(題名が長いので、以下『なぜ国』と『銃鉄』とさせて頂きます。)

 

双方に共通するテーマは、

”なぜ今世界の富は欧米に集中し、一方で依然として貧しい国家が存在するのか。”

ということ。

 

この問いに対して、

『銃鉄』国家の繁栄と衰退には地理的な要素が第一要因でしょう、と主張するのに対し『なぜ国』はいやいや地理云々でなく、政治経済上の制度が大きく影響しているんだよと主張している。

 

本編では『なぜ国』と『銃鉄』の主張を対比させながら、『なぜ国』が地理的要因と現代の国家の栄枯に因果関係が薄いと主張する理由を解説していこうと思います。

 

まず『銃鉄』は地理的な要因から生じる農業生産はのちに大きな所得格差をもたらせたとし、その理由を以下のように説明する。

”食糧生産量が増えることで働かなくても良い階級が出現し、彼らが工業技術を発明し、普及させた。その普及の度合いが現代の経済格差を生んでいる。”

この主張を『なぜ国』は以下のように、バッサリ切り捨てている。

”農業生産量が豊富であったからといって、工業技術と経済の格差が生じたことは説明することできない。理由は、確かに農業生産の差異が所得格差を生んだけど、工業技術が普及した現代においても、相変わらず技術格差と貧富の差が埋まらないどころか、その差はむしろ拡大しているからだ。”

 

確かに、明らかに農業に適さない地理的条件のために、経済発展が遅れている国ってありますよね。砂漠地帯とか熱帯地域に属する国とか。

でも、一方で地理的条件の不利にもかかわらず、工業やテクノロジーを軸に発展している国もある。北欧やシンガポール、韓国みたいに。

これらの事象を踏まえると、

地理的条件のために農業生産性が低いからといって、工業技術普及の遅れや所得の格差が生じたとは言い切れない。

と考えることができますね。

 

さらに『なぜ国』は畳み掛けます。

”大陸が東西に延びているか、南北に伸びているかで現代の不平等を説明することはできない。”

『銃鉄』現代における格差の原因の1つに大陸が東西に延びているか南北に延びているかを挙げている。

ユーラシア大陸には東から西へ延びているため、作物、動物、イノヴェーションが肥沃な三日月地帯から西欧へ広がることとなった。一方で、他の大陸は南北へ延びているため、伝播が困難であった。”

『銃鉄』は横長の大陸の方が気候がどこも似通っているため、農業等技術の伝播や人の移動がより活発に行われ、社会発展がより早かったと主張していますね。

この主張に対し『なぜ国』は、

”例えばアフリカは南北に長い大陸であるが、海岸沿いを帆船で航行し、大陸を超えてモノやアイディアの移動が可能になった後も、アフリカで格差が埋まらない理由を説明できていない。”と反論している。

 

確かに、現代ではハード・ソフト問わず、物理的な障害ってかなり軽減されてますよね。船舶、航空、車両、列車、ITなどの発展により。

でも富める国とそうでない国の格差は相変わらず広がり続けている。

 

で、『なぜ国』が『銃鉄』に対して、「地理的要因と現代の所得格差との因果関係が薄い」と主張する理由をまとめると、

確かに、地理的な要因で地域によって格差が生まれたことは認めるよ。でもそれじゃあ、技術の発展で地理的な有利不利が少なくなった今でも格差が埋まらないのはおかしいって!むしろ格差は広がり続けてるんだぜ?”ってなる。

 

この疑問に対して『なぜ国』の著者はこう考えたんです。

現代においてなお貧困から抜け出せない国家には、社会の発展を妨げる決定的な要因があるのではないか。

そしてその要因は”収奪的な制度”であると主張しています。

 

では『なぜ国』の考える「収奪的制度が国家の発展を妨げるメカニズム」を見ていきましょう。

 

まず、搾取する者とされる者が存在する封建的な社会において、自然災害や他国の侵略等の人的要因により、社会が混乱する。

その際、特権階級は体制維持のために、その収奪的な特性を一層強めることで、国を支配しようとする。これに対して不満を募らせる者たちが反乱を起こし、特権階級が一掃される。

そしてまた新たな特権階級が生まれ、搾取される側を支配する。

『なぜ国は』この「混乱→搾取→反乱→混乱」の繰り返しを”悪循環”を呼び、この悪循環から脱却できない限り、国家が継続的に発展することはないとしています。

つまり天災や人災によって社会が混乱すると、国民をより一層収奪しようとするインセンティブが働くために、国家の発展が妨げられているということ。

 

で、この『なぜ国』が指摘する制度な問題を踏まえて、僕の中で1つの謎が解けました。

”今日世界の経済格差は広がり、富める者はより豊かに、貧しい者はより貧しく。”

なんて言い方がよくされますが、僕はこの意味がずっと理解できなかったんです。

経済発展が進むと生活がより豊かになることは理解できる。理解できなかったのは”より貧しく”って部分。

だって貧しいって言ったってもう21世紀ですよ。ちょっと国が本気出せば他国の力を借りてだって、インフラでも医療制度でもすぐに整えられる。国民がより健全な生活を送れる環境は以前と比べてずっと容易になっているはず。

なのに昔より貧しい生活強いられているってどういうことなんだろう。

 

これこそが『なぜ国』の指摘する制度的な問題だったんですね。

つまり特権階級が”意図的に国民を貧しくしていた”ということ。

国民をより貧しくすればするほど、特権的地位は安泰になる。だから国民をよりいっそう貧しくする必要があったのだと。

 

僕たちが生きる日本社会では例え危機的な状況に追い込まれても、民主的にその困難を乗り越えられる制度がきちんと整っている。だから時代を逆行するような事態には陥ることはない。

でも、社会制度が整っていない国家では、社会が混乱した際に一部の人々が自己の保身と引き換えに、国民を犠牲にしていた。そして社会は更なる混乱と貧困へと循環してゆく。

僕はこの決定的な制度の違いを理解できていなかった。

 

で、『なぜ国』の指摘する制度的な問題によって僕の疑問は解消されたわけだけど、ここでまた新たな疑問が。それは、

多くの国家が今もなお、収奪的制度による悪循環の中にいる一方で、一部の国家がそこから脱却できたのはなぜか。”ということ。

この悪循環からいち早く脱却できたのが、イギリスを中心とした西洋国家ですよね。

その疑問にも『なぜ国』はちゃんと答えてくれています。それは、

収奪の悪循環から抜け出し、継続的な発展を達成するためには、包括的な政治経済制度が必要である。”としています。

 

”包括的な政治経済制度”ってなんのこっちゃいと思いますので、次編では”包括的な経済制度”とは何か。そして今日発展し続ける国家がなぜ”包括的な政治経済制度”を獲得することができたのかを紐解いてゆきます。

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イラン、かつてオリエントを統一し栄華を極めた古代都市ペルセポリスより

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