【文章】オケー先生の英作文

2014年、28歳にして大学生活に舞い戻った秋に、英語のエッセイの書き方を学ぶ授業を履修した。

 

この授業で受けた文章の書き方がすごく勉強になって、書く話す、英語日本語問わず今でも役に立っている。

 

先生の名前はオケー、イギリス人。

彼の経歴は面白い。

イギリスでは国際弁護士をしていたが辞職し、

アジアを放浪しながら日本にたどり着き日本人の女性と結婚。

 

為人もこれまた面白くて、

 なんで国際弁護士をやめたのかって聞いたら

「つまらないから」だって。

 じゃあ一番面白かった仕事は何って聞いたら、

「タイのホテルでのんびり音楽弾きながら仕事してるとき」って確か言ってた。

 

ではオケー先生の授業内容について、

 授業は、はじめにエッセイを書くために必要となる構成を教えてくれて、あとはひたすら書く練習。

オケーが教えてくれたエッセイの構成は以下の通り。

  1. まずフックから始める。
  2. 書き手の主張を伝える。
  3. 主張の根拠を簡潔に記載する。
  4. 主張の根拠を具体的に説明する。
  5. 最後にもう一度主張とその根拠を簡潔にまとめる。

 なんだ平凡じゃんかと思われるかもだけど1.フックって意外と見落としがち。

つまり相手に

 ”おっこいつの文章(プレゼン)気になるぞっ”

 て思わせる出だしが必要ってこと。

 

オケー先生の教えに従い、今回は一冊の書籍の一部を参考(根拠)にした上で、

”農耕民と狩猟採集民はどちらが攻撃的か”

というテーマで短いエッセイを書いてみようと思います。

 

今回僕が参考にした書籍は

『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイヤモンド著

この本は、世界の富と権力が、(欧米中心に)不均衡な状態にある理由を約700万年前人類が猿から分岐した時代まで遡り、検証してゆくというなんとも壮大な書籍。

 

アメリカ生まれの著者がニューギニアを訪れた時、現地の政治家にこう問われるんです。

「あなたがた白人は多くのものを発展させて、ニューギニアに持ち込んだが、我々は自分たちのものといえるものがない。それはなぜだろうか。」

そんな問いに答えるべく、700万年に渡る人類歴史の旅が始まる。

なんかぐっと引き込まれる出だしですよね。

 

ではエッセイスタート!

 主題:農耕民と狩猟採集民はどちらが攻撃的か

 

農耕民は温厚な気質で狩猟採集民は攻撃的な気質である。

こんなイメージを持ってはいないだろうか。

 

 過去に以下のような実例がある。

 ニュージーランド沖のチャムタム諸島に住むモリオリ族は1835年11月19日、突然の暴力によって壊滅的な被害を受けた。

 彼らを制圧したのはニュージーランドに住むマオリ族

 

モリオリ族はマオリ族の攻撃に対し、友好的に解決するため、平和案を提示することにした。

しかしマオリ族はその提案を受け入れることなく数日のうちに数百人のモリオリ族を惨殺し、なんとその多くを食べてしまった。

生き残り奴隷にされた者たちもやがてマオリ族の気の向くままに殺されてしまった。

マオリ族は藪や地面の穴に逃げ込んだモリオリ族を見つけ出しては、男も女も子供も関係なく皆殺しにしてしまった。

 

この文章を読んだときあなたきっとマオリ族は血に飢えた狩猟採集民で、温厚な農耕民モリオリ族の集落を襲ったに違いないと思ったかもしれない。

 

ところが実際はマオリ族が農耕民でモリオリ族は狩猟採集民であった。

農耕民こそ血に飢えた殺戮者であったのだ。

 ではなぜ農耕民であるマオリ族がこれほどまでに攻撃的であったのか。

 

その理由は農耕という生活様式が富の蓄積を可能にし、社会構成の複雑化、人口の稠密化をもたらせたからだと考えられる。

 

 狩猟採集民と農耕民の生活様式が大きく異なる点は、農耕民は富、すなわち食料を蓄積することができるという点である。

 定住した場所で土地を耕し、家畜を育てる農耕民は余剰食料を貯蓄し、再分配することが可能である。

 食料の再分配によって、食料生産を行わない人員や時間を確保することができるようになる。

彼らは耕作を行う代わりに、耕作道具や武器を製造したり、集団の統率者として政治を行った。

仕事が分業化されることで社会構成が複雑化していった。

 

また食料の蓄積は人口稠密化の一因となる。

食料を貯蓄し、家畜を増やすことで短期的に収穫が途絶えても継続的にに食料を提供することができる。

安定的な食料の提供は人々の健康状態を改善させ、寿命の伸長と出生率の上昇をもたらせた。

 

一方で狩猟採集民は生活様式の性質上、食料の貯蓄が難しい。

移動しながら日ごとの食料を調達する生活様式では、常に狩猟採集のために人員を多く必要とし、仕事の分業化が難しい。

従って、食料を調達する者、子供を育てる者、のように役割分担は極めて単純であった。

また食料を消費したあとは、新たな食料を求めて別の場所へ移動する必要があるので、食料の貯蓄ができない。

そのため余剰資源は貯蓄されず、都度グループ内で消費されるといった習慣が成立していた。

当然食料事情も不安定なため、人口の増加は望めない。

 

これに対し、農耕民の社会は複雑化し、人口が増加していった。

社会の複雑化と人口増加にという社会構造の変化により、農耕民は攻撃的な気質を備えることになる。

なぜならば人口の増加に伴い、食料供給源である農作地を拡大しなければならなくなるからだ。

新たな農地を探す際、自由に拡大できる土地がなければ、他グループの土地を収奪することになる。

収奪においては武器や軍隊が必要となるが、分業化された社会においては武器の製造、軍隊の組織化が可能である。

さらに社会の統率者がいれは軍を指揮することができる。

このように農耕民には土地を収奪する必要性と実現性を兼ね備えていた。

 

以上のように、農耕民の生活様式は富の蓄積による社会構造の複雑化と人口の稠密化をもたらせ、結果的に攻撃的な性質を彼らに与えたと考えられる。

これらの原因から農耕民は狩猟採集民よりも攻撃性が高いと言うことができる。

以上。

 

オケー先生は一年後大学の講師を辞め、日本を離れてしまった。

日本で子供の教育を受けさせることに不安を感じたんだって。

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